他の子と同じ様にフツーの人生を送ってくれればいいな
息子が産まれるまではそれが当たり前で、
そんなに欲張らない願いだから当然かなうものだと思っていた。
でも、ダウン症であると分かってそんなささやかな願いは崩れさった。
意外ともろかったよね、一瞬だったもん。
親の子どもへの願いってそんなもんかもしれない。
健常といわれる多数派の子育てだって、親の願いが崩れ去る日は来るときは来るもんだよね。
ただうちは生まれてすぐだっただけ。
そんな崩れ去った願いの破片を、ひとつひとつ集めては再構築する日々。
ダウン症について調べては、行き場のない気持ちを抱える。
でも、色々なダウン症の子や親御さんの想いに触れることで希望というエネルギーをもらって我が子はダウン症という現実に向き合う。
そんなことをくり返していくうちに、崩れ去った願いの破片は違う形となって組み合わさっていく。
そしてやがてひとつの形になった。
父である僕が、ダウン症の息子に願うのはたった1つだけ。
『日日是好日』
『日日是好日』は、「にちにちこれこうじつ」と読む。
元は禅のことばで、その意味は、
「毎日毎日が平和な良い日であること」(広辞苑)
ダウン症って、大人になると、退行する人、記憶障害(アルツハイマー認知症様)になる人が結構な割合いるし、寿命も伸びているとはいえ、平均よりはかなり短い。
つまり、僕たちの明日より、不確実な明日が常につきまとう。
ちょっと悲しいよね。
でも、先のことは心配しても誰にも分からない。
そして、後悔しても過去は変えられない。
なら、今この時を楽しく生きることが大切じゃん。
そう生きて良いんだよ、ダウン症の君は。
権利があるとかそういう話じゃなくて、少なくとも「それで良い」と言える親でありたい。
そして、本人も「毎日毎日が大切。毎日楽しく生きたい」と思ってくれるなら、
ダウン症であることをあるがままに受け入れて進むってことでもある。
それって最強じゃん。
能力とか特性とか関係ない。
あるがままを良しとして受け入れる。
これも『日日是好日』の意味のひとつなんだよね。
こんな偉そうに書いた、父の願いも、いつかぶち壊される日がまた来るかもしれない。
子どもって親の期待や予想を超えていく存在だから。
それはそれで喜ばしいこと。
そんなふうに受け止められるじゃん。
だって、一瞬でぶち壊されることは経験済みだからね。
でも、それでも僕は『日日是好日』を願いたい。