ご覧いただきありがとうございます、うこうこです。
今回は、障がいのある子への教育は変わるのか?
という話題です。
まず、きっかけとなった国連による日本への勧告について簡単にまとめながら、障がいのある子を取り巻く教育の現状と今後について整理してみたいと思います。
日本の教育はインクルーシブに反する!という厳しい指摘
日本の教育では、障がいのある子は、公立学校における特別支援学級や通級指導教室の利用や、障がいの種類に応じた特別支援学校(養護学校)への通学といった形で、その子の障がいに応じた教育を受けられる仕組みとなっています。
しかし、そのような日本の教育の仕組みは、国連から厳しいダメ出しを受けました。
日本は障害者権利条約に批准しているため、条約に沿って国が政策を推し進めているかどうか、2022年8月に日本は初めて国連の審査を受けました。
その結果は、多くの懸念点や改善点を指摘された厳しい結果でした。総合初見の内容は、他の国は10ページ前後であるのに対して、日本は18ページにも及ぶ内容であったため、日本の障がい者政策は課題がとても多いことが具体的に示されたのです。
その中でも、特に、改善を強く求められたのが、障がいのある子もない子も共に学ぶ“インクルーシブ教育”の推進についてです。
現在の日本の教育は、多様な学びと称して、障がいのある子にあった学びの「場」を、用意することで教育をおこなっています。その子にあった教育を受けるためには、一般的な集団生活の場から、専用の「場」(特別支援学級、通級指導教室、特別支援学校など)に移る必要があります。その仕組みが、
「インクルーシブに反する分離教育であり廃止すべき」
と厳しく指摘されたのです。
といった指摘もありました。それに対して、文科省のお偉いさんがコメントを出しましたが、なんとまぁ的外れなコメントで世界中を騒つかせたということもあり、日本でのインクルーシブ教育が今後どのように進んでいくのか?期待と不安が高まる状況にあります。
文科省が具体的な方向性を示し始めたけど…
そんな中、2023年3月9日に以下の内容のニュースが報道されました。
文部科学省は2024年度にも、小中高校と、障がいのある子が通う特別支援学校を一体化して運営する試行事業を始める方針を固めた。互いの学校を児童生徒が行き来して授業を受け、教員も教えることで障がいの有無に関わらず一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」を進めたい考えだ。 朝日新聞デジタルより引用
インクルーシブ教育を進める!という動きが出てきたことに対しては大きな期待がもてます。
しかし、”互いの学校を行き来して授業を受け”とのことなので、学校を合併するわけではなく、『交流を図る』的な方向のようにも感じます。
というか、既にそのような交流は行われています。
現在も、特別支援学校に通う生徒でも、地元小学校にも在籍して学習や活動に参加する副籍制度があります。通常の学校に通う子どもたちが、特別支援学校に出向いて一緒に授業を受けたり活動したりすることも行われています。
それらと何が違うのか?
が現段階ではよく分かりません。“一体化した運営”をすることでの具体的な変化やメリットがよく分かりません。
そのため、この方向がインクルーシブ教育の推進にどう繋がるのか?も大きな疑問です。
インクルーシブ教育の推進への課題は大きい
国連に指摘された日本の分離教育ですが、指摘の大きなポイントは「場」の問題だと思います。
障がいのある子もない子も同じ場所で同じ教育を受けるといっているのではなく、同じ「場」でその子にあった教育が受けられる権利を保障するべきである、ということです。
学校間を行き来したとしても、それは交流の範囲内でしかありません。「こういう人たちもいて、自分達とは異なった学校で異なった生活をしてるんだなー」と、分離している前提は変わらないので、異質的な視点での体験に終始してしまうことになると思います。
インクルーシブ教育の目指すところは、障がいの有無に関係ない共生社会や、多様性の尊重された社会の実現であるということを重点をおいて考えていく必要があると思います。
そのため、インクルーシブ教育としては、同じ「場」で生活を共にすることが土台として重要になってきます。常に同じ「場」で生活すべきという意味ではなく、あくまで土台として、身近な存在として、同じコミュニティの一員として感じられるような「場」の設定が重要であると思います。
インクルーシブ教育の推進への課題は大きい
ただ、日本の現状では、インクルーシブ教育を形だけ進めていっても難しい現状にあると思います。
未だに障がいのある人への「異質的」「区別的」な見方は根強いのが現状です。
先生にとって、とても身近であるはずの発達障がいのある子への理解もまだまだ不十分です。相変わらず、多数派に近づける(みんなと同じことがをできるようにする)意識が根強い先生も多いですし、合理的配慮の提供も不十分です。
そして、特別支援学級や学校に通う子を、「できない子」「ダメな子」として認識する風潮も根強くあります。特別支援(special education)とは、できないことを支援するだけではなく、その子の強みを伸ばすことも含まれています。海外では、秀でた才能を伸ばすための教育もspecial educationとして考えられています。そのような認識を子どもたちにしっかりとした説明をしたり態度で示すことができる先生が少ないですし、そのような認識が不足していることを問題意識として捉えている先生も少ないのが現状だと思います。
そのような現状では、インクルーシブ教育だけを推進しても上手くいかないと思います。
教育システムを根幹から変えていかないと難しいのではないかと思います。何十人を一括管理するシステムは、そこから外れてしまう子を「それでも良いよ」とは言えません。例外ばかりを認めていけば崩壊してしまいます。だから「みんながやっているからあなたもやりなさい」「それができないは悪いことである」と暗黙の認識として共有されています。加えて、先生の労働時間やメンタルヘルスの問題が指摘されるようになり、先生になりたいと思う人が減り、人手不足が叫ばれるようになっています。そのような現状で、インクルーシブ教育という今までの教育システムを大きく変えことになる取り組みを行う余力はないのではないかと思います。
まとめ 〜インクルーシブ教育はどうあるべきか?〜
共に学ぶインクルーシブ教育、そのあり方をどう考えていったら良いのでしょうか?
まず、インクルーシブ教育と聞いても、具体的な定義があいまいな印象が強いです。そのため「インクルーシブ教育って何?」という一般の人が大多数であることが大きな問題だと思います。
そして、理解を広げ深めるためには、「障がい」という捉えだけでなく「多様性」という捉えを多くの人が理解していくことも必要だと思います。このテーマについては、後日、別の記事でまとめてみたいと思います。
国連の次回審査は2028年2月とされていますので、それまでに具体的な動きが出てくると思います。気になる動きが出てきたら記事にまとめていきたいと思いますので、よろしくお願いします。